花影のnote
2026-05-07 13:33:59

過去について2026/2/15

最近、学校で真面目に授業を受けられていない。
理由は自分でも分かっている。勉強というものにトラウマがあるからだ。

小学1年生の頃、私はあまり勉強が得意ではなかった。特に国語が苦手で、算数は比較的できるほうだった。国語の宿題では、ひらがなやカタカナを書く課題が出ていたが、私は字が汚く、先生から何度もやり直しをさせられていた。「そこまで細かいところまで?」と思いたくなるほど厳しく、なぜか私だけが何度も指摘されていた。

夜遅くまで書き直すことも何度もあった。練習帳は消した跡だらけでボコボコになり、書き直した文字が見えないほどだった。

家の状況も穏やかではなかった。父の仕事が不安定になり収入が減り、母は妹を妊娠していて、家の中は常に張りつめた空気だった。うまくできないことを理由に叱られ、時には叩かれることもあった。毎日、やり直しと叱責の繰り返しだった。

さらに、落とし物が多かった私は、机の横に段ボールを置かれ、クラスメイトや先生に床に落ちているものやゴミを入れられ、帰りの会で一つ一つ確認されていた。そのせいで「いじりがいのある人」という印象がみんなに定着してしまい、変なあだ名をつけられたり、陽キャにいじられたりしていた。

小学校高学年になると、課題ができなくなってしまっていた。おそらく「やったら怒られる」と体が勝手に思ってしまっていたのだと思う。そのせいで宿題をやらなかったり、漢字練習ノートの日付を変えてごまかしたりしていた。小学2年生から通っていた塾でも毎回怒られ、親に電話され、土曜日に自習に行かされ、課題は積もり、まるで多重債務のようにやってもやっても減らなくなってしまった。

その後も課題に手をつけられないまま中学生になった。中学生ではかなり内向的になってしまった。友達に誘われて剣道部に入り、先輩にしばかれながら練習していた。もちろん課題は忘れてばかりだったし、ノートも最初は写していたが、2回目くらいで書くのをやめてしまった。部活でも、少し足首が痛いだけでランニングをサボったり、途中でトイレに行ったりしていた。その一方で、防具をつけた楽しい練習には真面目に取り組んでいたため、先輩に「サボっているんじゃない」と怒られていた。

そのまま中学3年になり、人生を変える出会いがあった。今から4人前の元カノだ。常にアームウォーマーをつけていて、初めは「なんだこいつ」という感想だった。だが後にLINEを交換し、それがリストカットだということを知った。その後意気投合し、たくさん下ネタを話して仲良くなっていった。

そこでセフレの話になった。
「そういえば先輩、彼女とかいないんですか?」
「今はいないな」
「童貞なんですか?」
「やってみたいけど、なかなか相手がねえ。セフレが欲しいもんだよ」
「じゃあ私なんてどうですか?」
「え、いいの?」

正直、最初は意味が分からなかった。その後、どうせやらないだろうと思いながら深夜に後輩の家に行った。それが初めての体験だった。帰宅後、「本当にやったのか?」と後輩に確認したほど信じられなかった。まさか自分が童貞を卒業できるとは思わなかった。

だが、それは人生最大の過ちだった。その後何度か学校終わりに会い、告白して付き合った。しかし彼女に飲み込まれてしまったというか、それまで抑えていたつらい感情を表に出していいのだと気づき、感情があふれるようになった。だが、そのはけ口がなかった。

そこで私はODという道を選んでしまった。彼女に教えてもらい初めてブロンを使ったが、全く効かなかった。量が少なすぎたのだ。その後メジコンを使い、強い作用を感じた。そこでハマってしまい、つらくなるたびに薬に逃げるようになってしまった。

その状態で学校に行き、親に連絡されて初めて発覚した。その後、親に知られたこともあり、状況はどんどん悪化していった。彼女に依存し、薬にも依存していった。抜け出したくても抜け出せず、やめるとつらくて仕方がなかった。彼女に「ヤク中は嫌いだからやめて」と言われたが、彼女自身も使っていたため強くは言えなかったようだ。

やがて不登校になり、学校に行かず彼女と会う毎日を送るようになった。しかしそれも長くは続かなかった。彼女が救急搬送されてしまったのだ。

その際、警察に事情聴取を受け、親を呼ばれた。家に帰っていないことを指摘され、このまま帰宅するか児童相談所に行くかの選択を迫られた。当時の私は帰りたくなく、児童相談所を選んでしまった。初日だったため1日で出ることはできた。彼女も無事だった。

だがそのとき、彼女がサイレースとハイプロンを持っているのを目撃してしまい、また救急搬送されるかもしれないと思って家に持ち帰った。しかし処理に困り、「どうせ大丈夫だろう」と思ってすべて飲んでしまった。結果、玄関で倒れ、自分で救急車を呼び搬送された。

当日に退院し、母に車椅子を押してもらって帰宅したと後から聞いた。しかしその薬の影響で私は夜中に親の制止を振り切り、彼女の家へ向かってしまった。記憶が飛ぶ薬だったため詳細は覚えていないが、親に通報され、再び児童相談所へ行くことになった。

それが彼女との最後の別れだった。

児童相談所を出たあと、彼女と別れていることを知った。それから薬を断ち、メンヘラ界隈の人たちと楽しく過ごしながら高校に入った。

高校では勉強はできなかったが友達を作り、V.W.Pに出会い、そこから花譜を知り、充実した日々を送っていた。

だが最近、またつらくなることが増え、過呼吸になってしまったり、飲酒量や喫煙回数が増えてしまったりしている。

それでも気持ちを紛らわせる方法を見つけた。過去に「こうしておけばよかった」と考えるのではなく、「過去にこうしてこうなってしまったから、今は、これからはこうしよう」と考えることだ。過去を分析し、反省し、それを今やこれからに生かして思考に区切りをつけるという方法である。

同じように過去に苦しんでいる人がいたら、こんな考え方もあると知ってもらえたら嬉しい。
あとがき

小学校から中学生までの出来事のほとんどを詰め込んだ、こんなに長い文章を書くのは久しぶりだった。

この文章を読んで共感してくれたら嬉しいし、人間関係について何かの参考になれば嬉しい。

読んでいただき、ありがとうございました。

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