花影のnote
2026-05-07 13:42:51

生きている人が多いだけの世界

褒められたことがなかった私へ

彼女に褒められた。それが、すごく嬉しかった。
今まで私は、「生きているのは当たり前」と思っていた。というより、誰に相談しても返ってくるのは「死んではだめ」「生きていて当たり前」そんな言葉ばかりだった。
でも彼女は違った。
「学校に行っていてえらいね」
「生きていてえらいね」
「バイトしていてえらいね」
そうやって、当たり前だと思っていたことを、ひとつひとつ褒めてくれた。
そんなふうに言われたのは初めてだった。嬉しくて、数年ぶりに泣いた。

自殺未遂という選択をした日

少しだけ、過去の話をしたい。
私は高校1年生のとき、自殺未遂をした。
理由は一つじゃない。過去のフラッシュバック、元カノのこと、新しい環境、何もできない自分への嫌悪、うまくいかない人間関係。いろんなものが重なって、限界だった。

誰も見てくれなかった苦しさ

そのとき、親に言われた言葉は「なんでそんなことしたの」「なんで相談しなかったの」「どれだけ迷惑かけたと思ってるの」そんな言葉だった。
心配してくれているのは分かる。でも、全部「生きている前提」の言葉だった。
その一方で、看護師の人は違った。「それは辛かったね」そうやって、ただ話を聞いてくれた。

「当たり前」ができなかった自分

昔の私は、「当たり前」ができなかった。
小学校でも中学校でも、そして今でも。昔はできていた勉強や課題も、いつしか崩れていった。
きっかけの一つは塾だったと思う。親に勧められて、小学2年生から中学3年生まで通っていた。
学校の課題だけでも精一杯だったのに、塾の宿題が増えた。それをやるのが当たり前だったのかもしれない。でも、私はできなかった。
そこから、自分は「何もできない人間なんだ」と思うようになった。

初めて気づいたこと

でも、彼女に褒められて初めて思った。
生きていることは、当たり前じゃないのかもしれない。
生きている人が多いから、当たり前のように見えているだけで、本当は「当たり前」なんて、この世にはないのかもしれない。
生きることには、その人にしか分からない努力がある。
生きているだけでいいという結論

何もできなくてもいい。生きているだけでいい。何もできないことを責める必要はない。
生きているだけで、褒められていい。
学校に行けたなら、それだけでえらい。
働けたなら、それもえらい。
そんなふうに、ただ生きていることが認められる社会であってほしい。
私はただそれを願っている。

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